ドクターすなみの脳のおはなし

第12回「記憶力をアップする」

 

 

松山市民病院脳神経外科部長

角南 典生氏

 

 あなたが出前を取ろうとラーメン屋さんの電話番号を調べたとします。頭に記憶して電話をかけましたが話中でした。少しして、ほんの2,3分してでしたが、もう電話番号が思い出せません。一時的に覚えた、つまり「短期記憶」といいます。いつも使ってる電話番号なら場合によっては一生、覚えています。こうなると、「長期記憶」といいます。

 みなさん、過去に覚えていることを思い出してください。こういうと、小学校の運動会でかけっこで1等賞をとったこと、好きな人に告白したけど、ふられたこと、受験に合格して家族でお祝いしたこと、などいろいろありますよね。こういった過去の自分の出来事に関連した記憶を「エピソード記憶」と呼びます。
 しかし、長期記憶はこれだけではありません。「いい国作ろう鎌倉幕府」とか、アメリカの初代大統領はワシントンだとか、学校で習うことも長期記憶となり、勉強ができるかできないかは、こういった記憶の良し悪しで判断しているところも大いにあります。こういう記憶を「意味記憶」といいます。もっとも意味記憶には、あそこのケーキ屋さんのチョコレートケーキはわたしにはちょっと甘すぎるだとか、あの交差点を右に曲がるとリッター130円の超安いガソリンスタンドがあるとか、そういった抽象的な記憶も意味記憶です。

 この意味記憶の素晴らしさについて、お話したいと思います。先日、タクシーに乗りました。二番町から我が家まで乗ったのですが、ぼくが知らない細い道をくねくねと、しかし要領よくすべるように走ります。それはもうマジックにかけられたようで、見事なものでした。どういったら最も時間がかからずに、しかもあの交差点は工事中のことが多いからひとつ手前で曲がっておいたほうがいいとか、この道をこのタイミングで抜けると、あの信号にかからなくて済むとか、そういった長年にわたって蓄積された知識や経験を手がかりにして運転手さんは記憶をふりしぼって、ベストの道を選んでくれています。
 つまり、自分の脳に記憶された「地図」と「経験」を駆使して、最新のコンピュータでも追いつかないくらいの複雑な考えを瞬時におこなって、目的地へ向かうわけです。

 さて人の脳には、神経細胞が1000億個以上あることがわかっています。そして大脳・小脳・脳幹などと細かい部位に分けられますが、誰の脳でもほぼ同じ数の神経細胞が同じように並んでいて、個人による差はほとんどないのです。そして脳には多くのしわがありますが、しわの数も同じで同じ数のしわが同じように存在しています。
 しかしこの神経細胞も年とともに減っていきます。生まれたばかりの赤ちゃんがもっとも多くの神経細胞を持っていて、毎日どんどん減っています。そのスピードはみなさんが想像するよりはるかに速く、毎日数万個から10万個という猛烈なスピードで減っています。これは1秒に1個くらいのペースで神経細胞が死んでいる計算になります。

 神経細胞が増えないで減る一方だということには、ちゃんとした理由があると思います。神経細胞以外のからだの細胞はほとんどが増える、つまり増殖能力を持っています。肝臓などは手術で90%を切り取っても、数か月すると元どおりの立派な肝臓ができあがります。皮膚や腸や血液の細胞なども盛んに増殖を繰り返しています。赤血球は120日くらいの寿命です。
 ところが神経細胞は死んでいくだけらしい。これは神経細胞がどんどんできて新しい神経細胞に置き換わったら、個性が変わってしまうからではないでしょうか? つまり、きのうのわたしと今日のわたしが同じであるために、神経細胞は増殖しないのです。わたしはそう思っています。
 記憶した神経細胞がどんどん入れ替わってしまったら、それはもうほんとに困るのだと思います。わたしがわたしであるために、わたしの記憶を忘れないために、神経細胞は一生働き続けていることを覚えておいてほしいと思います。
 ここで、話をもとにもどします。みなさん記憶力は大丈夫でしょうか?タクシー運転手さんの話にもどるんです。
 さて、タクシー運転手の脳を徹底的に調べた研究者がいます。ロンドンのマグワイアという学者です。サルやネコやネズミの脳を使って実験したりする研究者は多いのですが、マグワイアはタクシー運転手さんの脳をたくさん調べたのです。こういう常識にとらわれない研究って、ほんとに魅力があります。もうぼくなんかワクワクして論文を読みました。

 さて彼女は、マグワイアは女性科学者です、彼女はその斬新な研究で、タクシー運転手の脳のある一部分が一般の人よりも大きいという驚くべき事実を発表しました。つまり、その部位では神経細胞の数が普通の人よりも多いというのです。この事実は、人によって脳の大きさや形はそれほど変わらないという、これまでの常識を真っ向から否定しています。

 そしてマグワイアはベテランドライバーほど、その脳の部分が発達していることを明らかにしているのです。ハンドルを握って30年すると、その脳の部分が3%膨らんでいるというのです。
 もうこの発表は衝撃でした。とにかく減る一方だと考えられていた脳の神経細胞が、実は増えてるんだという事実。これによって脳科学者や医者はこれまでの考えをもとからくつがえされました。
 もう1つ、脳を使えば使うほど神経細胞が増えるという事実。脳を鍛えることで記憶をつかさどる神経細胞を増やせるのです。タクシードライバーの素晴らしい記憶力は、まさにじっくりと脳を鍛え上げた結果、できあがったのです。先日のわたしが乗った運転手さんも、脳の一部が発達してたくさんの神経細胞を持った運転手さんだったのでしょう。
 さらに驚くことは、タクシー運転手さんは大人になってから始める職業です。だから神経細胞は大人になってからでも十分に増えていくということです。「わたしはもう若くないから、いまさら鍛えても・・」という方。大丈夫です。いくつになっても鍛えることができます。
 さて、運転手さんの脳が一般の人よりも発達している部分。それは脳の中でもある限られた部分だけです。それは大脳の横、側頭葉と呼ばれる耳の奥の「海馬」と呼ばれる部分でした。直径1cm長さは10cm足らずで、タツノオトシゴのような形から「海馬」と呼ばれています。

 

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